第2回「ことば」で関係を切り拓く
平成15年12月21日
大村はま国語教室の会事務局長 苅合夏子 氏
歯料医院でのコミュニケーションを考える第2回歯科患著塾では、ことばで心を切り紡ぷために97歳の国語教師大村はま先生の実残から学びました。大村先生はNHK教育テレビ「こころの時代」で「優劣のかなたに」でも紹介されました。苅谷夏子さんは、大田区の公立中学で大村先生に出会い、大村国語教室で学んだ記録を34年後の昨年、夫君の苅谷剛彦氏(東大教授・教育社会学)と共に大村先生と共著で「教えることの復権」(ちくま新書399)を出されました。類いまれな一人のすぐれた教師の実残を、偶々習った何人かの生徒か喜んだだけで終わらせたくない。「ことぱこそ民主主義の基本」という恩師の仕事を広く社会に紹介してくれています。学ぷこと、教えることの深い意味を考えつつコミュニケーションについて実習を交えて学びました。
 コミュニケーションの能カというのは、様々な生活の場面で切実に必要とされ、思うほどうまくいかずにじりじりすることも少なくありません。しっかりとしたカがほしいと思います。これさえマスターすれば、あなたも今日から話し上手というような、そういう簡単な、わかりやすい、そして身に着けやすいコツがある、と、言えれぱいいのでしようが、でも残念ながらそんなものはないです。ないと覚悟したほうがいい。
 コミュニケーシ∃ンという抽象的な言い方をすると隠されてしまいがちですが、実際の暮らしを考えると、コミュニケーションの場面、状況、目的など、千差万別です。まったく同じ条件で繰り返されることなどないでしよう。一つ一つの場面で、コミュニケーションの着地点というのはまったく異なるわけです。その地点を見極めるのはその時々の自分自身です。コミュニケーションカの優れた人が集まって話し合えぱ、ある決まった結論に達するなどということはない。模範解答はないのです。
 では、そういう前提の下で、つまり千差万別な中でも、共通して大事にすべきこととは何でしようか。
心が動いている状態でことばを発しているか
聞き分ける耳を育てる
 コンビニで買い物をした時などに、店員さんのマニュアル化された「せりふ」に鼻白む思いをしたことはありませんか。人は、本気で言葉を発する時、不思議に切実な声がでるものです。自分にとって、どんな調子が「切実な声」なのか、自覚がありますか。「うざったい」ことを嫌い、軽い調子のコミュニケーションが主流になっている現代社会では、そういう切実な声を出す機会が意外なほど少ないです。ほどほどに明るい、無害な、引っ掛かりのすくないトーンで話すことがほとんどではないでしようか。もちろん、いつもいつも胸の奥から発するような声て話さなくても、それはかまわないかもしれません。 でも、ほんとうに大事な場面という時に、本気で声を発することができるのか。また、聞き手として、人の発する本気の声を聞き分けることができるのか。それを聞き分けていくことが大切だと思います。
 まずは、自覚的に声を受け止める経験、それがコミュニケーションの第一歩となるはずです。あの人のあのことぱは、不思議に自分の胸に届いた、そういうときの声の響きや調子を記憶にしっかりとどめる。ぴとつの基準をもつということでしよう。自分が発する側に立ったときのコミュニケーシ∃ンも、間き取る耳が出来てきて初めて評価がてきる。自分で自分の話し方を評価し、言い方をチェックするには自分の耳で聴くしかないのです。
大村国語教室のてびき
 大村はまという教師は非常にリアリストで、国語教師がよく使う「よく読みなさい」を嫌いました。たしがに立ち止まって考えると、「よく読む」の「よく」の中身が何なのか、困ってしまいますね。わからないことがあると、子どもは「よく読んでごらんなさい」と言われます。かわいそうにまじめな顔をしてさっきと同じようにもう一回読むわけてすが、読んでも解らない。教師というものは立場が強いですから、「もっとよく読みなさい。そうすれぱ解りますよ」なんて命令をして職務を果たしたような気になってしまう。
 大村は醒めていて「よく読みなさい」というのは単なる命令でしかないと現実を見ていました。よく読んで欲しかったら「よく」の部分を常に具体化して子どもがそれを確実に実行できるように、手をかえ品を変え手引きを作ってくれました。たとえばこういう点に注目してみたら、こんなことを比べてみたら、こんなときに疑問を感じない?そんなふうに非常に具体的なりードをしながら、国語の勉強を進めていました。コミュニケーションについても同じでした。
 大村はまにとって、第二次大戦は大きな、重い経験でした。戦後の日本が民主主義という社会を作るなら、その成員の一人一人がしっかり話しあえなくては何にもならない、と強く感じていました。現実には、なんでも「じゃあ、話し合ってみましよう」ということにはなっていますが、「話し合う」ことの勉強はたいへん手薄です。機敏な子がぱっぱっと発言すればそれで決まってしまうような話し合いがほとんどです。
 「話し合い」を教えるのは難しいことなんです。大村は小さな椅子を持って教室中を移動しながら、生徒として発言したり、生徒一人ひとりをよく理解した上で、その子が言えそうなことを後押ししたりしました。助け舟と生徒に感じさせないやり方で、実は大きな助け舟を出し、自分の力で言えたような感覚を体験させて、その子のカになる。あくまで具体的な、生きた場面での手引き、助言を、繰り返していきました。
ことばの捉え方
打開のきっかけは具体的なことば
 たとえぱ、話し合いをしていて陥りやすい失敗の一つに、反対のしづらい抽象的な表現がど一んと出てしまい、そのことばが独り歩きしてしまうということがあります。漠然とした概念語は、なんとなく説得カがあり、重みもあり、それだけに人をたぶらかします。特にその発言者がその場でパワーのある人であったりすると、そういう人の発する難しそうなことばは、裸の王様の衣装のように、ふしぎな、根拠の無い説得力を持ってしまいます。
 しかも日本人は「みなまで言うな」というような「察し」を大事にするところがあるので、余計あぶない。禅問答的なやり取りを高級なものと感じる習慣まである。もちろんすぱらしい禅問答というものも存在するでしようが、めったにないといったほうがいいでしよう。それなのに、漠然とした言い方、難しい抽象的な言い方で話がぼやけてしまった時に、それを我慢したり、わかったふりをして放っておいてしまったりするのです。自分がわかってないと気づいたら、あるいは、食い違いが心配だと思ったら、訊ねればいいんです。素朴な、具体的な問いを率直に誠実に投げかける。聞いてみて、そのことばが解ることて、はじめて話し合いが本来のレールに乗るのです。「○○ってどういうことですか」という質問を、私達は意外なほど、してないですね。こういう切り出し方があるということを、大村教室では具体的に何度も何度も学ぴましたが、中学生だけでなく大人にとっても参考になると思います。
価値観の異なる相手ときちんと話すこと
 国際的な間題が深刻な現在の世の中を見ても、価値観の異なる人々とでも、会話をしていかないといけません。平和な中で、身内だけで、のんきな会話を楽しむだけなら良いですけど、現実には話し合ってなんとかより良い結論を出さなければならない場面がたくさんあります。
 そういうときの打開策は、やはり、ことばから相手の考えに迫っていくことしかないのではないでしようか。ことぱというもの自体が文化の産物ですから、そこにすでに差異はありますが、それでもなんとか共通項を探り当てて、相手の考えと自分の考えとを同じ土俵にのせ、解決できるものは解決して、修正できるものは修正していく。「あなたのお考えは」とまるごと掴むと喧陣にしかなりませんが、具体的なことばをきっかけにしたなら、話し合いをつづけることはできます。
 私達日本人は、どうも打たれ弱くて、自分の意見に反対のトーンでものを言われると全否定された気がしますよね。ひどい時には「あの人、私のこと嫌いなんだ」なんて思ってしまう。味方として「そうよね」と言うか、「あの人とはそもそも考えが違うから話せない」と敵対するか、さもなくば、ギャラリーに引っ込んであまり関わらないか。普段の話し合いの8割か9割はこのいずれかではないでしようか?大事な向かい合った関係になれない。そこからは何も生まれてきません。それでは困ります。
 「あなたのおっしゃるこの部分は、ちよっと私の考えとは違う」ということを、あくまでも具体的に出して行く。そういう時、誠実に、切実にコミュニケーションを求める声をやり取りするのです。そうすれば、たんなる「ことばの揚げ足とり」や「ことば尻を捉えてやりあう」といった醜いことを避けることがてきます。そうやって話しを深めることを、目指したいと思うのです。
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